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“核廃絶”の訴え リレーする高校生たち~仙台平和七夕50回記念講演会

更新日:8月12日


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 この日も30度を超す暑さとなりました。しかも連休初日でしたが、会場の尚絅学院高校の礼拝堂前には、開会の1時間前からちらほら並ぶ方々の姿も。広い礼拝堂にはおよそ500人の聴衆が詰めかけました。


 実行委員の一人で尚絅学院高校宗教部顧問の赤井慧教諭が挨拶に立ちました。高校ではこれまで45年間、平和七夕の活動に参加してきました。

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『本校の初代校長・アニーブゼルの下で聖書を学んだ吉野作造は「すべての人が神の子であり、尊厳のある存在として尊重されるのが民主主義の基本だ」と言いました。これに加えて、聖書に「平和を実現する人々は、幸いである」とあるように、“命ファースト”の思いが、平和七夕に関わる活動を支えてきました』



 拍手に迎えられて登壇した日本被団協代表委員の田中煕巳(てるみ)さん。椅子に座って話し始めました。93歳とは思えない力強い声です。

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 『一瞬世界が真っ白になり、何が起きたのかわかりませんでした。気が付くと街がなくなっていました』。田中さんは13歳の時、長崎の自宅で被爆しました。

『被爆者はその後各地に移り住み、ばらばらになり自分たちの声を上げることができませんでした。南太平洋のアメリカの水爆実験で被ばくした、第五福竜丸事件が事態を動かしました。自分たちの被爆体験を広く訴えるため被団協が結成されました。ヒロシマ・ナガサキから80年、核兵器が使われていないのは私たちの運動の成果でもあります。

昨年、ノーベル平和賞を受賞しましたが、これで終わりではありません。とりわけ“唯一の戦争被爆国”と公言する日本政府が核兵器禁止条約に加わろうとしないばかりか、会議にオブザーバー参加すらしないのは許せません』


 講演会の運営は受付や司会、会場案内にいたるまで尚絅学院高校の宗教部の50人が担いました。聴衆にも若い世代の参加者が目立ちます。

「核兵器を使わせないようにするにはどんな方法が?」中学生の質問です。「子供たちに核廃絶の思いを伝えるには?」若いお母さんの問いでした。


 第2部で登壇した宮城学院女子大学・特任教授の大平聡さん。学校に残された戦時中の日誌・日記などを手掛かりに明らかになった女子学生の学徒動員の実態を報告しました。

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 『戦争が泥沼化した1943年になると、ミッション系の宮城学院や尚絅学院を含め、多くの高等女学校で、翌年の卒業生が挺身隊として各地の軍需工場に動員されました。成人男性が戦場に駆り出され生じた労働力不足を補うためです。宮城県内だけでなく、例えば第一高女(旧宮城一女)の女生徒は夜行列車で遠く横須賀の海軍工廠に動員されました』

 学びの場である女学校が戦争の影に支配されていた実態を大平さんはスライドを交えて話しました。


 会場を沸かせたのは高校生たちが考案したクイズです。

「第一回の平和七夕で折られた鶴は何羽?」、「現在、地球上にある核兵器は何発?」、「聖書のイザヤ書にある“剣を打ち直して○○とする」、「○○は何?」。3択で答える10問のクイズです。全問正解の2人には田中さんの色紙が贈られました。単に講演を聞くだけでなく、問いかけられたものを胸の内にとどめるためです。若者ならではの発想でした。

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全国から寄せられた折鶴で吹き流しをつくり、“核廃絶と平和”を訴える仙台平和七夕が今夏50回を迎えるのを機会に企画した講演会です。「核廃絶の訴えを未来の世代にリレーする」テーマをこのように定めたのは間違いではありませんでした。

50人の高校生たちに拍手!!

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                       文責;実行委員・松舘忠樹



・チラシ 

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